誰も誰かを理解する事なんて出来ない

結局はそういう事だ。幼子が親心を理解できないように。日本人が韓国人を理解できないように。男が女を理解できないように。女が男を理解できないように。
誰も誰かを理解する事なんて出来ない。理解しようとする事は出来ても、理解する事は決して出来ない。
人間の内面という物は生まれてから現在に至るまで自己に影響を及ぼした、何億何兆という要素が複雑に絡み合い構成されている。その要素が決定的に重なる相手など存在しよう筈もないし、大部分が重なるであろう双子でさえ完全に理解しあえるわけもない。
人は決して人を理解する事が出来ないのだ。そうしたつもりになる事は幾度も幾度もあるだろうが、それは全て幻であり嘘であり虚構だ。


だが人はその逃れられない性として、誰かに理解されたいと望む。知己の仲、気心の知れた仲などといって、互いが相手を理解しているように思い込もうとする。だがそれは十中八九、或いは十中に十勘違いであり、理解しあえてなどいよう筈もない。
だが本来ならばそれで良かったのだ。騙され、耽溺していれば良かったのだ。


今、人々は本当の事に気づいてしまった。人は多様であると言い聞かされ、個性豊かであるべきと言い聞かされた子供達は、己が特別である事を悟ると共に、己が普通である事を重んじ、世の中に追従するのに必死になる大人たちを侮蔑した。
そして子供達はとうとう、自分達は多様であり、多様であるが故に決定的に理解され得ない事にさえ、気づいてしまった。


ある者は相手を深く理解する努力も、されようとする努力も、果ては名前すらいらない、短い言葉による対話を望んだ。
ある者は己の考えだけを、純粋に心の内だけを理解されるがために長文を書き、それを真に理解し得る人間を求めた。
ある者は必死に現実から目を逸らし、騙され、耽溺し続ける事を願った。
結論からいえばその全てが有効であり、同時に無駄でもある。どう足掻いても真実は動かない。誰もが一人。誰もが無理解。誰もが孤独。


つまるところ、俺は今日1人ぼっちで焼肉をしたのだ。なんたる孤独。
神よ、願わくば全ての人間が等しく孤独でありますように!