アニメ感想書き、その生き様

最近になりトラックバック文化圏論争などで注目を浴びる事になったアニメ感想書きであるが、総数の割にその実態は余りに知られていない。
そこで今回はアニメ感想書きを自称する俺が、「アニメ感想書き」とはどういうものなのかについて、自分なりの見解を書いていく事とする。


さて、アニメというのは断続する13本390分ないし、26本780分の物語である。
そのため感想を書くとなれば毎回変化する部分に言及していく必要があり、それは主に脚本・構図・演出に役者(声優)の演技、更に作画レベルの上下などである。
これについて言及するだけでもアニメに対するある程度の見識が必要となる事は明白だが、昨今ではアニメ内で他作品のパロディが登場する場合や、著名な製作スタッフが手掛けているのを理解する事によってより深い考察の出来る作品などもあり、従来のアニメファンレベルでは対応できない場面も多い。(前者の例には「ぱにぽに!」が、後者の例には「板野サーカス」を始めとするお決まりのカットや、うつのみや理氏の作画等が挙げられる)
その上アニメという物はSFからファンタジー、ミリタリーから時代劇まで様々なジャンルを内包する物であるから、そういった幅広い知識も当然のように必要となってくる。
しかしアニメ感想書きはその情熱と好奇心によって、常人なら備え得ぬ多種多様な知識を自然と獲得するものである。
ならばそういった知識を備えた者こそが、アニメ感想書きであるといえるだろう。


以上のように「アニメをただ純粋に楽しむ」という枠を超えた知識が要求されがちなアニメ感想書きであるが、感想を書くにあたって備えなければならないのは知識だけではない。
むしろ説得力のある感想を書く為に最も重要なのは公正さである。
では公正な感想を書くにはどうしたら良いのか。それは「何故そう思ったのか理論立ててと説明する事」の一語につきる。上述したようなアニメに関する諸々の知識もその過程で最も必要とされるのだ。
「なんだか面白くない」だとか「またこんな糞展開か」といったような愚痴を書いたところで、読んでくれる人間はいやしないという事をアニメ感想書きは知っている。
そしてそのような公正さを持った者こそがアニメ感想書きなのだ。


アニメ感想書きを待ち受ける落とし穴はまだある。体調不良だ。
これはアニメ感想書きの多くが実感を持っている事と思うが、精神や身体の状態はアニメを楽しむに当たって重要な要素となる。人間は極端に疲れている時や心が荒れている時に何かを楽しむ事は難しいのだ。そしてそういった状態で書かれた感想は、結果的に公正さを欠く物となるだろう。
だからこそアニメ感想書きはなるべく健康で朗らかにいるよう努力する。そして自分の心身が万全でないと思ったのなら、そういった事も判断材料として感想を書くのである。
これは並大抵の努力で出来る事ではないが、それを乗り越え、実現する者こそがアニメ感想書きである。


一方、アニメ感想書きは感想を書くと同時にその主要な読み手でもある。他者の意見を目にする事で視野が狭小になる事を防ぎ、自身と異なる視点を意識する事が出来るからだ。
しかしそれには常に人の意見に流され、己の抱いた感想に疑念を抱いてしまう危険も付きまとう。だが勿論「誰かがこう書いているから」という理由でもって、己の感想を変化させてしまうなどというのはアニメ感想書きとしては下の下だ。
それを知っているからこそ、誰かに気を使わぬため、己の抱いた感想に一片の迷いも生まぬため、アニメ感想書き同士は決して馴れ合わない。
アニメ感想書きは本来的に孤高だ。彼は高すぎる山の頂にいる。しかしそれこそがアニメ感想書きなのである。


ここまででアニメ感想書きという生き方がいかに過酷であるかを理解して貰えただろうか。
アニメ感想書きは情熱により深い知識を備え、その感想は公正で、肉体と精神の健康を維持し、孤高に立つ存在なのだ。


そして俺はどうみてもアニメ感想書きじゃありません。
本当にありがとうございました。