あさっての方向。 第5話「帰るところ」

尋の家で自分の出来る事(ポジション)を模索する椒子に対して、「家族だからそんなものなくても構わない」という答えが示されるのは理解できるんだけど、それは家族でなければあの家に無条件で帰る事は出来ないという事でもあって、結果として、子供になってしまった事から尋たちを必要としている椒子を、擬似家族の枠に無理やり納めてしまう歪な回答にも思えた。
…んー、ちと違うか。なんだろうこの違和感は。椒子自身にもっと人に素直に甘えたいだとか、そうできるようやり直したいという願望があるというのはきちんと描けていたから、今回の話も尋とからだに言われた「いてくれて良かった」(いてくれるだけで嬉しい)という言葉(差し伸べられた手)を素直に受け入れられるようになるまでの話であるというのは分かるのだけど、なんだかそれだけではない違和感がある。むー、分からん。頭の回転の悪さが恨めしい。